「第11回朝霧高原R100RSの集い」に行ってきました
「第11回朝霧高原R100RSの集い」に行ってきました…が、
残念ながら参加出ませんでした。
水ヶ塚公園の辺りから雨が降り始め、途中から本降りになり家に戻ろうかとも思いましたが、集合写真だけでもと朝霧高原道の駅に到着したのが10時20分ごろ。
雨のため早めに切り上げたそうで、残っていたのは数台のみでした。

来年は是非参加させていただきたいと思います。
朝霧高原に向かう途中、何台かのR100RSとすれ違いましたが、やはりカッコいいですね。
ライダーが乗った姿が絵になるバイクだと思います。
前から見るとライダーがほとんどカウルの中に納まって、すごくきれいに見えるんです。
我が家のほうは全く雨が降らなかったようで、路面も乾いていました。
雨の中を走るとライトカバーの中に水が入るのをなんとかしたいです。
5回目のユーザー車検に行ってきました
早いものでもう2年。
前回の車検以降にヘッドライトをLED化しているので、事前に自宅で光軸調整をしました。
光軸の規定範囲は以下になります。
最高光度点が前方10mの位置において、左右27cm以内、上方向は10cm以内、下方向は地上からライトまでの距離の1/5以内の枠内に収まるように調整する必要があります。
具体的には、次のようになります。
- 左右方向のずれ:27cm以内
- 上方向のずれ:10cm以内
- 下方向のずれ:地上からライトまでの距離の1/5以内 (約20%)
10mも水平の出た地面はなかなか無いので、土間の打ってあるガレージ内で確認します。
ライトをハイビームにして壁に近づいたところから乗車した状態(=1G’)のまま、ゆっくり下がっていきます。
1m程度しか下がれませんが、規定範囲によると水平は合格なので壁に映った光の中心位置が動かず、そのまま光が薄く大きくなっていくようであれば水平であるはずです。何度か乗車したまま前後に動かして調整しました。
プリロードのセッティングで光軸が変わります。
で、今日が車検当日です。
車道に出ようと左にウインカーを出すとインジケーターの点滅がやけに早い。
電球が切れているのではないかと確認すると、やはりフロントウインカーが点灯していません。
よりによって車検当日に玉切れとは運が悪い。
「途中のオートショップで購入すればいいや」と出かけましたが、以前テールランプをLEDに交換したときに外した電球をシティーケースに積んでいることを道中で思い出しました。
ありました!

ホントこの時代のBMWはメンテナンスしやすいようによく考えられてます。
早速交換しましたが点灯しません。
???
電球が切れていないのなら断線か?
ウインカーの裏側を確認すると……、端子が抜けていました。
光軸調整したときに工具が当たって端子が外れたようです。

端子を接続したら無事に点灯しました。
セルフメンテナンスで光軸調整しましたが、やはり心配なので栄和自動車さんで確認してもらいます。

光軸だけでも前後ブレーキとスピードメーターを含めても料金は同じとのことなので一通りお願いしました。
受付で3,300円を支払い、検査ラインに入ってブレーキ、スピードメーター、光軸の順に検査をします。
ブレーキはOK、スピードメーターもほぼズレなし、ヘッドライトの光量は十分、左右のズレが少しあるが規定内、上下のズレも問題なし。
ガレージでの調整方法で光軸が出ることがわかりました。
どこにも問題はなかったので予備検査は数分で終わり、降車することなく、そのまま車検場へ行き、自賠責の更新、重量税・検査登録代の印紙を購入し受付の準備をします。
受付開始まで時間があったので、車検場の近くの「らーめん花樂」で期間限定メニューの「新潟燕三条系 背脂にぼし麺」をいただきました。

受付手順、車検自体は過去記事と大きく変わりませんが、受付時にもらう自動車検査票に走行距離を記載する欄がなく、受付後に自動車検査票に走行距離欄をスタンプして戻されます。
こちらで記載するのか迷いましたが、そのまま検査ラインで検査官に渡したところ、メーターを見ながら走行距離を確認して記入してくれました。
ライト以外の項目は難なく終わりました。
が、光軸は✕!
予備検査との違いは検査ラインにあるフットスイッチを踏むことです。
フットスイッチを踏むとシートから体重が抜けてリアサスが伸び、ヘッドライトが下を向いてしまうことが原因のようです。
シートに体重を乗せるようにして無事合格となりました。
電子車検証は新しくならず、スマホでQRコードを読み取るとデータが更新されています。
しかし、もう5回目なのに、毎回緊張するな~。

今回かかった費用
予備検査費用 3,300円
自賠責保険 8,760円
重量税 5,000円
検査登録代 1,800円
計 18,860円
エアフィルターの交換
車検が来月に迫ってきたので、24カ月点検を実施します。
前回はエアフィルターは清掃のみでしたので、今回は交換します。

それでは以下の手順で交換していきます。
- 左右のサイドカバー(バッテリーカバー)を外す
- 左側のフューエルホースを外す
- エアフィルターボックスのクリップを4箇所外す
- アッパーエアフィルターハウジングを外す
- セルモーターカバーを浮かす
- 汚れたエアフィルターを外す
左右のサイドカバー(バッテリーカバー)を外す
左右のサイドカバー(バッテリーカバー)の下のタッピングスクリューを緩めます。
サイドカバーの裏のフックの向きが左右で異なるので注意が必要です。


左側のフューエルホースを外す
左から作業する場合は左側のフューエルホースを外します。

エアフィルターボックスのクリップを4箇所外す
左右2か所ずつ、4か所のクリップを外します。

アッパーエアフィルターハウジングを外す
すき間が狭いですが、アッパーエアフィルターハウジングを抜きます。

セルモーターカバーを浮かす
セルモーターカバーのスクリューを緩めて少し浮かすとエアフィルターが脱着しやすくなります。

写真は左側の1本、右側にも1本あります。
汚れたエアフィルターを外す
汚れたエアフィルターを外します。

それほど汚れていませんが、ガソリン臭いです。

あとは逆の手順で組み付けるだけですが、作業性が悪いので結局燃料タンクを外してしまいました。
最初から外せばよかったと少し後悔です。
オイルフィルターの交換
久しぶりのエンジンオイル交換です。
エンジンオイルの交換手順は過去記事に記載しましたので、今回はオイルフィルターの交換をメインに記載していきます。
記事を読み返すと前回は2年3ヶ月前です。
走行距離は1603㎞、相変わらず走ってません。
オイルフィルターは2021年7月の交換から2711kmです。
それでは作業を進めます。
サーモスタッドを強制的に開いてオイルクーラー内のオイルを排出させるためのボルト?

車載工具に入っているとの情報もありますが、Rider's Handbookの車載工具リストにも記載はなく、以前購入しました。
僕のは30mm位あるのですが、ネットで調べると23mmとの情報もあります。
長すぎて破損させるのも怖いのでナットとワッシャを挟んで23mmに調整して差し込みました。
Rider's HandbookにもCLUMER MANUALSにも、この作業は記載がありません。
古いオイルが少し残りますが、あまり気にしなくてもよいのかもしれません。
正しい情報がわかれば追記します。
こちらはモノサスのパーツリスト
下図15番のM6ボルト3本を抜くと2番のオイルフィルターヘッドが外れます。

カウルやエキパイ、フレームなどで入り組んでいますが、下の写真のような組み合わせの工具を使うと何も外さずにオイルフィルターヘッドを外せます。

オイルフィルターヘッドが外れたら古いフィルターを引っ張り出します。

交換するフィルターはストックしてあったコレ。

箱の中身はこんな感じで、どれを使用するのか迷います。
RealOEM.comのパーツリストによるとモノサスに使用するのは青い点線で囲んだ部品だけです。

CLYMER MANUALSには以下の文と図が掲載されています。
「1982年以前のモデルで金属製のシム(11421336895)を配置する必要があります。1982年以降のモデルではシールをさらに圧縮し、密閉性を向上させるためにシム(11421336895)を使用することをお勧めします。」
OLDにはシムがあります。
NEWには(Shim not needed)の記載がありますが、「密閉性を向上させるためにシムを使用することをお勧めします」ともあり。
どっちなんだい!
こっちはツインサスのパーツリスト
やはりモノサスとはオイルフィルター周りの部品に違いがありますね。

こちらもツインサス
ペーパーガスケットとシムが記載されています。

前回はシムを組み込みましたが、今回は使用しないことにしました。
知恵の輪のようにエキパイやカウルの間をよけてフィルターを組付けます。

白いオーリングと角断面の黒いオーリングをオイルフィルターヘッドにはめ込みます。

あとは取りはずした時の逆の手順で組み付けて、オイルの漏れがないことを確認して完了です。
シムなしでも漏れはありませんでした。
THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN(富士モータースポーツミュージアム特別展)-その2
前回の続きになります。
ここからが今回の特別展の本題です。
「THE GOLDEN AGE OF RALLY」は、トリノ自動車博物館で開催された企画展です(2022 年 10 月~23 年 5 月)。今回、愛知県と岐阜県で開催される FIA 世界ラリー選手権フォーラムエイト・ラリージャパン 2024(11 月 21 日から 24 日まで開催)にて、トヨタ自動車株式会社及びコレクションを保有するイタリアのマカルーゾ財団(GINO MACALUSO FOUNDATION)の共同企画として、ラリーカーの進化の歴史を振り返る6台のクラシックラリーカーが展示されます。その後、舞台を富士モータースポーツミュージアムに移し、「THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN」展を行うことを決定しましたので、お知らせします。
本企画は、日本の自動車文化とラリー文化を振興することを目的に、実業家でありながらコ・ドライバーとしても活躍したジーノ・マカルーゾ氏の親族が設立したマカルーゾ財団のコレクションと、日本の往年のラリーカーを一同に展示し、これまでラリーカーが紡いできた歴史と進化を伝え、レガシーを次世代に繋ぐ企画展です。
1960 年代から 90 年代にかけて、世界のラリーで大活躍した名車のヒストリーをお楽しみいただけます。皆さまのご来場をお待ちしています。
https://fuji-motorsports-museum.jp/assets/files/news_20241030.pdf
News releaseより引用
ジーノ・マカルーゾ財団の欧州ラリー車コレクションについて、検索したら以下のサイトが見つかりました。
それでは特別展のうちイタリアからやってきた6台をNews releaseより引用させてもらい紹介します。
①フィアット X1/9 アバルト プロトティーポ(1974)
1970 年代のフィアット・グループのモータースポーツ活動は、フィアットが 124 アバルト、ランチアがストラトスで参戦するなど、 各社が独自に活動していた。しかし同グループの参戦方針が大きく変わり、傘下のラリー・チームおよび参戦車両の統合を決定し、量販ミドエンジンスポーツカーのフィアット X1/9 をベースに開発することになった。試作車にはアバルト製 1.8 リッターDOHC エンジンを搭載するなど広範囲な改造が施された。本プロジェクトの責任者が、フィアット・ラリーチームでコ・ドライバーだったジーノ・マカルーゾである。1974 年に参戦を開始しラリーやレースでクラス優勝したが、フィアット経営陣は「X1/9 では販促に繫がらない」と判断して本計画を断念、ベース車両を 131 ミラフィオーリに変更した。
展示車は、F1 ドライバーのクレイ・レガッツォーニが、コ・ドライバーのジーノ・マカルーゾとともにジロ・ディ・イタリア・アウトモビリスティコに出場した実車である。ジーノ・マカルーゾがプロとして出場した最後の車両であり、引退後にラリーカーコレクターとして活動を開始した彼が最初にレストアした車両でもある。





ホイールはクロモドラ製です。

②ミニ・クーパーS(1966)
1956 年のスエズ危機によってイギリスでの石油不足が不安視されるなかで、省燃費な小型車としてミニ・シリーズが誕生した。車体を小型化して軽量にするため、外寸を最小限に抑えながら同時に広い車室を得るために、エンジンを車体の前側に横置きにして前輪を駆動する FF(フロントエンジン・フロントドライブ)方式を採用。ミニは小型車の革命と評され、横置きエンジンの FF 方式は、小型車の標準になった。
スポーティバージョンとして派生したクーパーS は、大排気量のエンジンを搭載。軽量・小型からの身軽さ、優れた操縦性から、モータースポーツの世界にも革命をもたらした。レースに加えラリーでも活躍し、モンテカルロ・ラリーでは 3 勝した。
展示車両は、1966 年モンテカルロ・ラリーにBMC ワークスチームから出場した車両である。翌 1967 年にはフィンランドの 1000湖ラリーで優勝している。






ランチア・ストラトスの誕生以前は、生産モデルをベースにモータースポーツ参加を意図した派生型の使用が一般的だった。これでは制約が多いと考えたランチアは、白紙からラリーでの勝利を第一目的としたマシンとしてストラトスを設計した。ランチアの競技責任者であるフィオリオ監督の勝利への強い想いがエンツォ・フェラーリの心を動かし、フェラーリ製の V 型 6 気筒エンジンの獲得に成功。ラリー・ドライビングに適した設計のミドシップ・シャシーに横置きに搭載し、後輪を駆動した。ボディはマルチェロ・ガンディーニが良好な前方視界を考慮してデザイン。フィアット・グループだけでなく、スポンサーやサプライヤーまで含めればイタリアの総力を挙げてストラトスでWRC に挑み、タイトルを引き寄せた。
展示車は 1976 年から 1979 年までのヨーロッパのラリーで使用された。初戦の 1976 年ジロ・デ・イタリアは、Gr.5 仕様で出場。
高速コースを考慮して前後に大型のエアスポイラーを備え、エンジンにはターボを装着。スポンサーカラーはマールボロのカラーリングが施された。















石油危機のなかでラリー活動を継続するため、フィアットは販売促進の効果を考慮して、FR 方式の量販乗用車「131 ミラフィオーリ」をベースに参戦車両の開発を決定した。アバルトが DOHC16 バルブ 1,995cc エンジンを、ベルトーネがボディの改造を担当。外観は 4 ドアから 2 ドアに変更し、前・後オーバーフェンダー、ルーフスポイラーが追加され、軽量化のために FRP 製のボンネットとトランクを装備。Gr.4 規定に基づき 400 台を生産したのち、約 600 台を追加生産された。
展示車は、主にイギリスラリー選手権で活躍、1978 年のウェールズラリー3 位やマンクスラリー5 位入賞等でワークス車両の 1 台として入賞を重ねた実車である。








⑤アウディ・クワトロ(1981)
モータースポーツの歴史では、革新的な技術の採用によって大きな成功を収め、その後に生産車に影響を与えた例は少なくない。
アウディのフェルディナント・ピエヒ指揮のもとで、オンロード・スポーツモデルの“クワトロ”に採用したフルタイム 4 輪駆動方式(4WD)もそのひとつだった。4WD の最大のメリットは、濡れた舗装路面、雪道、氷、未舗装路など、あらゆる種類の路面で高い駆動力を発揮し、優れたパフォーマンスと安定性が得られることにある。
クワトロは 1981 年の WRC 初戦から投入され、2 戦目のスウェーデンで初優勝すると、サンレモ、RAC と勝ち進み 3 勝を得た。
ちなみにサンレモの勝者、ミシェル・ムートンは、WRC 史上初の女性ドライバー優勝を果たした。
翌 1982 年シーズンに 5 勝したアウディは、ドライバーズタイトルは僅差で逃したが、3 勝したムートンが 2 位に入って、アウディ初の製造者タイトルを獲得した。アウディ・クワトロ登場後は、4WD が WRC を席巻したのである。
展示車は、1982 年 WRC でアウディ・ワークスチームが使用した実車である。1000 湖ラリーではハンヌ・ミッコラが、サンレモ・ラリーではスティグ・ブロンクビストがそれぞれ、優勝を果たした。



⑥ルノー・サンク ターボ(1981)
ルノーは、F1 レースで率先してターボ付きエンジンを装着して参戦していたが、培った知見を WRC に拡大、ルノーの量販乗用車由来の 1.4 リッターエンジンにターボを装着してミドシップ化して2シーター化されている。
ルノー・サンクをベースにしたボディには、太いタイヤを収容するために前後に巨大なオーバーフェンダーを、ルーフ後端には大型のスポイラーを備え、ボディにはアルミやプラスチック素材を広範囲に使用して軽量化を図った。Gr.B の公認取得に必要な台数を生産した以降も、ルノーのホットモデルとして継続生産された。モータースポーツが市販車の性能向上に寄与した好例である。
展示車は、1981 年モンテカルロ・ラリーで、ジャン・ラニョッティにより、優勝した実車である。







特別展のうちイタリアからやってきた6台でした。
こちらはレプリカだそうですが、今見てもカッコいいです。



ミュージアムから出るとディーノがさらに増車していました。

おしまい。
THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN(富士モータースポーツミュージアム特別展)
4/5(土)に富士モータースポーツミュージアム特別展「THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN」に行ってきました。

何かのイベントでしょうか。駐車場にはディーノがたくさん!

気になった車両を何台か紹介します。
まずはバイク乗りなので、1961年式ホンダRC162から。

雑誌などではなかなか見られないアングルの写真を多めに紹介します。











続いては、1966年式 ホンダ RA273。

HONDAのホームページに詳しい記事があります。









ひとつひとつの構成部品が美しいです。
つづく。

